この街の歴史をたどる『芝生(しばお)の丘のものがたり』

芝生(しばお)の丘のものがたり

はじめに5期に分けて芝生(しばお)の町の歴史をたどってみよう

この街は、成城学園の設立に加わったもののその後の学校運営にあきたらず、「全人教育」を目指して成城を飛び出し、この芝生の地に新たな学び舎をつくった教育者・小原國芳(1887−1977)のいまひとつの「作品」でもある。

学校創立に合わせて小田原急行鉄道(株)に敷地や駅舎を提供し、新駅も開設された。

零から始まった街づくりも2009年4月には80年目を迎えた。

仮に玉川学園1〜8丁目+東玉川学園1〜4丁目を地域とみなすと、今は2万人近くが住むまでになっている(面積は260ヘクタール)。

そのあゆみををたどるなら、大きく2つの時期に分けられよう。

すなわち、小原の思想に共鳴した人々が移り住み「教育ムラ」とも言うべき地域づくりをした戦前・戦後初期と、戦後復興期における東京の爆発的な拡大の中で、前者は「戦前と戦後初期」、後者は「人口が増え続ける1990年頃までとその後」、に分けるのが妥当であろう。

またそれとともに学園創立の歴史もあるわけで、明治・大正、あるいはそれより前の状況を、今日のこの地の<下絵>として見ておくことも大切だ。

そこで、<学園の創設以前/戦前期/戦後初期/1990年頃まで/以後今日までの20年>と、時代順に5期に分けてそのあゆみを概観していきたい。

執筆:高見澤邦郎

編集後記:街の歴史をたどるこの小冊子は、地域組織である<まちづくりの会>と<芝生の会>からの要望を受けてまとめたものです。

作成は玉川学園町内会が2009年に刊行した「我がまち 玉川学園地域80年のあゆみ」を底本に、それの執筆を担当した高見澤邦郎(7丁目/都市計画家)が、その後の新しい情報も加えて行ないました。

この街の昔と今を知り、この街への愛着を一層深めていただければ幸いです。

この続きは冊子(200円カンパ)でお読みいただけます。

この冊子領布に際してのご寄付は、<まちづくりの会><芝生の会>の活動費の一部に充てられます。

写真:学校創立当時の玉川学園駅  ©玉川学園