はじめに「玉川学園・考現学的採集」について

 

考現学?聞き慣れない言葉ですが、関東大震災(大正12年)直後に始められたヘンな学問です。学問といっても論文を書いて博士になれるというような学術的なものではありません。

民俗学者・柳田邦男の弟子に今和次郎(こん わじろう)という人がいました。早稲田大学や東京美術学校(現・芸大)で教え、勲三等も授与されたユニークな人物です。何がユニークかというと、何所へ行くにもジャンパー姿で背広は着ない、自宅玄関に向かう庭木は遠近法を採用し段々低く刈り込む、ツゲの木を平らに刈り込み、庭のテーブルにしていた・・・などなどエピソードに枚挙がありません。

そして今和次郎の美校時代の生徒に吉田謙吉という人物がいました。新しモノ好き、人と同じことはしたくない、なんでも屋を自称した人です。大正13年に創立された新劇の草分け「築地小劇場」に当初から参加し、斬新な舞台装置とポスターを創作しました。

 

さて本題に入りましょう。

この二人が昭和5年に出版した『モデルノロジオ―考現学』という愉快な本があります。目次からいくつか拾ってみます。

・銀座通行人のリズム・私の服装を見返る人達・丸ビルモガ散歩コース・魚屋さんの空箱とその符牒・東京山の手下町下水口・いねむりと昼寝・犬箱の話並に採集・井の頭公園自殺場所分布図・カケ茶碗多数・硝子のワレ方と補貼・おしめの紋様採集などなど。

モデルノロジオ考現学※『モデルノロジオ考現学』カバー装幀  提供:塩澤珠江

 

「考古学」が遺跡・遺構・遺物を考察することにより、過去の人類の文化を研究することに対して、「考現学」は現在の社会現象を調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問で、考古学をもじった造語です。

 

『考現学』の冒頭の文を少しだけ引用してみます。

「昆虫学者が戸外へ昆虫の採集に行く。蝶や蛾や甲虫は、そこで彼の手で集められる。私達は銀座へ出る。そして所謂銀ブラなる人種をわれわれのカード上に記入して見る。ある植物学者は、一限定区域の中に天然に生息している全植物の数及種類の記入研究をやりつつあると云う。私達も亦、銀座なる一街区に於ける夫々の限定時間に於ける銀ブラなるものの数、種類、動作及あらゆる服飾物を記入研究して見る。(中略)

現代の風俗の記録として、十年、百年の後の人々に、この私達の仕事が遺される可能性があることを思うと更に愉快になる。(中略)かくして、この記録を―現在の政治家並に行政官に、社会学者に、心理学者に、生活改良家に、商店経営者に、そして総べての街上の人々に、また僻地の田舎の人達に、又一般家庭の人達に―贈る。」

(現代仮名遣いに変更してあります。著作権所有者・今家及び吉田家遺族)

 

今和次郎(明治21年-昭和48年)民俗学研究者。民家、服飾研究、建築学、住居生活学などで活躍。日本生活学会会長、日本建築士学会会長を務めた。

 吉田謙吉(明治30年-昭和57年)舞台美術家。考現学は戦後も続け新聞、雑誌に発表。玉川学園大学、多摩美術大学、日大芸術学部で舞台装置論を講義。晩年は近代パントマイムを日本に紹介、「日本パントマイム協会」を設立、会長を務めた。

 

というわけで、明治生まれのユニークな二人にならって、

わが町玉川学園を湯村泰子と二人三脚で採集します。

タイトルの4名の顔は、塩澤、湯村、松香光夫・副会長(監修)、江蔵桂(広報)です。なお、湯村が漫画的に描いたもので似顔絵ではありません。

 

 

文:塩澤珠江  マンガ:湯村泰子

 

 

★塩澤珠江(しおざわ たまえ)玉川学園2丁目在住。ギャラリー<(とき)(かぜ)>オーナー蓮文化愛好家・日本蓮学会事務局長。吉田謙吉長女。

★湯村泰子(ゆむら たいこ-ペンネーム)少女漫画家。玉川学園3丁目在住。