たま坂ことの葉 -書道のこと I-

 

 私が書道を始めたのは定年後の事である。現役時代は寧ろ悪筆で有名なほうだった。当時PCやワープロソフトも未だ無い時代で、ビジネスに関する書類は手書きか、より公式なものは和文タイプを依頼したが、清書を頼むアシスタントやタイピストからは、せめて解読可能な原稿を上げてほしいと良くクレームされた。然様なこともあって一念発起通信教育の毛筆書道講座を受講したのだが、これが自分でも不思議な程ツボに嵌まって、三年ほどで最高位の漢字部門九段迄進むことが出来た。こうなると書道の面白味も分かってきて益々のめり込み、現在は旅行中や特段の用事がある日を除き、小一時間を書の稽古に充てるのが日課になっている。手が震えて筆を持てなくなる迄は此の趣味を続けるつもりである。どうせ熱し易く冷め易いの類いで、三日坊主で終るだろうと予想していた家人の予想を大きく裏切ることになった。

 尚、書道を始めるにあたっては、カルチャーセンターの書道教室や勤務していた会社の書道部(大概OBにも門戸を開いている)に籍を置くことも可能で、師から直接指導で筆遣い等のテクニックを学べるメリットがある反面、日本の伝統的なお稽古事に付き物の家元制度化している弊があり、組織に付き物の人間関係の煩わしさの他にも、段位が進むごとに高額な昇段料を取られたり、手本が替わる度に先生に手本作成料を払う必要がある等聞くにつれ、そういう煩わしさとは一切無縁の通信教育を選択した経緯がある。只、通信教育の場合は折角用意されたカリキュラムを最後迄全う出来ぬ脱落者が多いのが現実で、いかにモティベーションを維持して稽古を継続するかは自身との孤独な闘いである。

 料紙の前に座り筆を執る時、心気を整え雑念を排して大袈裟に言えば無念無相の境地に至る。一旦紙に墨を下ろすと後は筆に任せて一気に書き上げるしかない。事実雑念を断つことは肝要で、上手に書こう、これをコンクールの清書にしようなどの考えがよぎると覿面に失敗する。小生は少し居合をやるがこの境地は一種武道にも通じるものがある。兎も有れ、字が奇麗になり封書の宛名書きや賀状等を書くのが苦にならなくなる実利の他に、精神統一に役立ち集中力を高める効用もあるので、コロナ禍で行動が著しく制限される現在の日常において手軽に何時からでも始められる趣味としてお勧めしたい。