たま坂ことの葉 -書道のことII-
今回は書道(漢字部門)で学ぶ対象についてお話する。尚、漢字の発祥が中国なので当然の事ながら手本となるのは、空海等の例外を除いて殆どが中国の書家である。書を始めた当初は基本の筆法等のテクニックを一通りマスターすることに主眼を置いて種々の大家の作品を学ぶが、それが一巡すると多士済済の書家の中から、自分の好み、美意識、スタイルに最も合う所謂お気に入りの書家を選び、その書風に如何に近づけるかを只管模索するようになる。書道を志す最終目標は他にない自分自身の書の完成にあるが、地道な摸倣作業も其処に辿り着く為に不可欠なプロセスである。参考迄に私のお気に入り書家を、以下全くの独断と偏見で選んで見た。
以下プロフィルを紹介して見たい。王羲之(4世紀)は南北朝時代の東晋の人で中国でも「書聖」と崇められる別格の存在であり、子息の王献之と共に「二王」と称され、後代の書家で何らかの影響を受けなかった者は皆無である。特に行書に優れこの書体の実質的な完成者とされるが、傑作「蘭亭序」に見られるバランスのとれた理想形に近い書体に古来魅了されぬ者は無く、未だに書道修行の原点とされている。時代が下り初唐期には明君太宗(李世民 6〜7世紀)が出て書を好み特に王羲之の作品をこよなく愛したのは有名だが、自身も行書の名手で魅力的な作品を残している。この時期に欧陽詢、虞世南、褚遂良といった名人が輩出し楷書体が完成する。就中、欧陽詢(6〜7世紀)の書体は清洌でスタイリッシュな印象で見る者を引き付ける。更に時代が下り盛唐になると、従来の王羲之流のアンチテーゼ的な骨太な表現で信奉者も多い顔真卿(8世紀)が活躍するが、連綿(続け字)を多用した草書が魅力の懐素も同時代の人である。宋の時代は内政外政両面で脆弱さが目立つが文化の面だけは大輪の花を咲かせた印象があり、書の面でも蔡襄、蘇軾、黄庭堅、米芾と夫々個性的な名人が登場する。敢えて、奔放さと覇気で蘇軾(号 東坡 11世紀 )と米芾(11世紀)を選んだ。より時代が降ると、元の趙孟頫は東晋、唐の書風への復古主義を唱え、明、清では文徴明、董其昌、王鐸、傅山等が活躍するが、夫々特色があって書風多様化の傾向が見られる。趙孟頫(字 子昂 14世紀)と王鐸(17世紀位)は似た経歴で、夫々南宋、明の遺臣ながら後年節を曲げて異民族の征服王朝元、清に仕えたことから、中国での評判は必ずしも芳しくない。私は寧ろ、仕官により活躍の場を得て完成度の高い品格ある自らの書で、中国文化の優越性を示した彼等の功は大と解すべきと思う。