文・画 本田 亮一
この時期になると東南アジアのほうからいっせいにツバメがやって来ます。
どうやら“日本は子育てするのにいいところ”と評判のようなのです。
なぜなら、えさになる小さな虫が多いから、それと、人が優しいから。
鳥にしてはめずらしく、ツバメは人の往来のあるところに巣をつくります。
それもこれも「人が守ってくれる♡」と思っているからなのです。
なにかと気にかけてくれるし、ときには猫やカラスを追い払ってくれると、すっかり信頼しているのです。
この町にも毎年、駅の構内やお店の軒先に巣が見られます。
こちらとしても、すいすいと空中を滑り飛ぶ親鳥の姿や、巣の中でお利口に待っているひなたちの様子に、目を楽しませてもらっています。
それに、「ツバメの巣がつくられたところにはいいことが起こる」なんて言い伝えもあります。
巣からフンをポイ捨てするのも、かわいい甘えんぼさんのすることと思って、どうか大目にみてあげて下さいね。
いつも道のすみっこにいて、背丈も低いツユクサ。その小さな花に顔を近づけ、よくご覧になってみて下さい。
涼しげな青い花びら二枚に、あざやかな黄色いリボンのかたちのおしべが四つ、そして白くつややかな、絹糸のようなめしべやおしべが三本。とても愛らしいですよ。
しかし、その花は一日限り。朝に開いたと思ったら昼には閉じ始め、夕にはすっかり閉じてしまい、もう二度と咲くことはありません。
愛らしい、なのに、はかない……だなんて、私のこころをくすぐってやみません。
踏切待ちをしている時、ふと線路わきの草むらをのぞくと、ツユクサの花を見つけることがあります。
貴重な瞬間に出会えたことをよろこび、私は思わずしゃがみこんで、花をながめます。うっとりしたり、写真を撮ったりなどしていると、遮断機が上がったのにも気づかず、ついつい向こうへ渡りそびれてしまうほどです。
文・画 村山尚子
草木の多いこの町は、やはり都心に比べて蚊が多いようです。夏になると私も、どこからか家の中に入ってきた蚊に毎日のように刺されています。
清少納言は『枕草子』のなかで蚊を「にくきもの」と述べています。日ごろは小さな虫を愛でる私ですが、さすがにあの刺された後の耐えがたいかゆみを思えば、その意見に賛同してしまいます。ちなみに平安時代には、木の枝や葉などを焚き、煙で蚊を追い払っていたとのこと。
私はといえば、蚊取線香を愛用。天然の除虫菊を粉にして練りこんだ昔ながらのものです。日本では明治時代から使われるようになったそうですが、蚊取線香を焚くと、どこかなつかしい思いがするのは、遠い先祖より受け継がれる感覚なのかもしれません。
立ちのぼる煙と香り、それらを散らす温い風。これぞまさしく日本の夏の風物詩。と思えば、にくき蚊もその演出に一役買ってくれているといえる……かな?
文・画 村山尚子
公園や道ばたの花壇などでよく目にするサルビアは、オリンピックの余熱冷めやらぬブラジルの原産。町田市では昭和四十七年に「市の花」に制定されました。活気あふれる町のイメージとぴったりだからということです。
まっすぐに伸びた茎から四方に飛び出す真っ赤な花は、今にも踊り始めそうなほどエネルギッシュ。たしかに明るくノリの良い南米の雰囲気がただよいます。筒状のその花をぽんっと引き抜けば、根元はスポイトの先のようなかたちをしていて、ここを吸うと甘い蜜を味わうことができます。
私が小学生だった三十年前も、学校の花壇にはサルビアがたくさん植えられていました。ある日、これらに蜜があることを私は得意げに級友に教え、味見をさせてあげようと花に手を伸ばしました。するとその級友から「だめだよ!花壇の花を取っちゃ!」と注意され、大いに恥じ入ったものです。甘いと思ったら苦い、けれど今となっては微笑ましい思い出です。
文・画 村山尚子
ほんの十年前まで、この町にはノラ猫がたくさんいました。彼らは痩せていて、ぼさぼさの毛をし、人を敵と思ってにらみをきかせていました。そして朝は生ごみを荒らし、夜になればギャーギャーと大騒ぎをしていたものです。
しかし今、ノラ猫の数は格段に減りました。人の暮らしと猫の健康を心配するこの町のボランティアさんたちのおかげです。ノラ猫がむやみに増えないように処置を施し、里親を見つけたり、または半ノラの地域猫にして食事の世話やブラッシングまでしたりして下さっています。
こうして人に愛情をかけてもらえるようになった猫たちは、人を仲間と思うようになり、お行儀も愛想もよくなりました。彼らの姿に癒される町の人も少なくありません。と同時に、ノラ猫が及ぼしていた人の暮らしの問題が減少しつつあることにもふと気づかされるのです。
「おはよう」とあいさつすれば「にゃ~ん」とこたえてくれる。そんな彼らと出会えるお散歩を、私も日々楽しんでいます。
文・画 村山尚子
どんな渋柿も、実の中にある種ができあがると甘く熟してきます。鳥たちに実を食べてもらい、種を遠くへ運んでもらおうという考えのようです。
日本には古くから、柿の実を収穫する際に、そのうちのひとつを枝に残す風習があります。その実を「木守柿(こもりがき)」と呼び、来年も豊作であるようにと願いをかけるのです。また、それには鳥たちにおすそ分けする意味も含まれているといわれています。
この季節、お散歩をしていると、実のなっている柿の木をよく目にします。しかし柿は背の高くなる木なので、下のほうは実がきれいに収穫されても、上のほうには、手もはさみも届かなかったのか、ひとつどころかたくさんの木守柿が残されていたりします。
とろとろに熟したそれらの実を鳥たちがうれしそうについばんでいるのを、私はただ指をくわえて見上げるばかりなのです。
文・画 村山尚子
みの虫はミノガという種類のガの幼虫です。
夏、お母さんのみのから出てきた裸ん坊の幼虫たちがまず初めにするのは、自分のみのを作ること。
木の葉をかじって千切り、口から吐く糸でそれらをかがって作ります。
体の成長に合わせて継ぎ足しや修繕をくり返し、みのをどんどん大きくしていきます。
そして寒くなると、みののてっぺんを木の枝や民家の軒下などにくくりつけて冬ごもりをします。
みのの中で小さくなりながら、春、立派な成虫になることを夢見て……。
「みの虫の音を聞きに来よ草の庵(芭蕉)」「みの虫の首ちぢめたる嵐かな(子規)」など俳句にも数多く詠まれ、昔から風物として親しまれてきたみの虫。ですが近年、外来種の寄生バエによって、その数はどんどん減ってしまっているそうです。
もしみの虫を見かけたら、彼らの息災と夢の成就を祈りつつ、どうかそっと見守ってあげて下さい。
文・画 村山尚子
お盆に雪をまるく盛って、そこに南天の実と葉をあしらえば……そう、雪うさぎです。子どものころ、こんな昔ながらの遊びをしました。赤くてつぶらな目をした雪うさぎはとても愛らしかったです。
枝がしだれるほどたくさんの実をつける南天は、花の少ない冬の散歩道に明るい色を足してくれます。その名が“難を転ずる”に通じることから、縁起のよいものとしてお正月の飾りにもよく使われます。
南天と名のつくのど飴がありますが、これは実を乾燥させて煎じたものが咳止めの薬として用いられてきたためです。また、葉には毒消しの効果もあるといわれ、料理に添える風習は今でも残っています。
わが家のお正月用の重箱には南天の絵が描かれています。なんだか新年も福がおとずれそうな気になりますし、ついでに、詰めたおせちでお腹をこわすような心配もなさそうで重宝しています。
文・画 村山尚子
お盆に雪をまるく盛って、そこに南天の実と葉をあしらえば……そう、雪うさぎです。子どものころ、こんな昔ながらの遊びをしました。赤くてつぶらな目をした雪うさぎはとても愛らしかったです。
枝がしだれるほどたくさんの実をつける南天は、花の少ない冬の散歩道に明るい色を足してくれます。その名が“難を転ずる”に通じることから、縁起のよいものとしてお正月の飾りにもよく使われます。
南天と名のつくのど飴がありますが、これは実を乾燥させて煎じたものが咳止めの薬として用いられてきたためです。また、葉には毒消しの効果もあるといわれ、料理に添える風習は今でも残っています。
わが家のお正月用の重箱には南天の絵が描かれています。なんだか新年も福がおとずれそうな気になりますし、ついでに、詰めたおせちでお腹をこわすような心配もなさそうで重宝しています。
文・画 村山尚子
就職活動をひかえた大学三年の春休み、この町を友人と散歩しながらこんなことを話し合いました。「もし二人とも職が決まらなかったら、お笑い芸人になろう」と。そして「コンビ名は……」と満開のハクモクレンを見上げて「モクレンズ、だね」。
「モクレン」は、白い花のハクモクレンや紫色の花のシモクレンなどの総称です。なかでも十五メートル以上の高さになるハクモクレンは春の花木として印象的です。つぼみのうちは、たくさんのゆで卵が枝のすみずみまで乗っかっているようでかわいらしく、また、厚みのある花びらが一斉に開くと、そのかぐわしさもあいまって、焦りをおぼえるくらいに圧倒されます。
さて、前述の二人ですが、夏になるころには、私は駆け出しのイラストレーターとなり、友人も無事に企業から内定をもらいました。かくしてお笑いコンビ「モクレンズ」は幻となりましたが、この時期のハクモクレンを見ると私は、現実逃避したくなるほど不安のほうがずっと大きい若者の心を思います。
文・画 村山尚子
この町の自慢の桜並木。これらは玉川学園の創立者、小原國芳先生と生徒たちによって、昭和の初めごろに植樹されたものです。小さな苗木ひとつひとつの根に土をかぶせながら、先生方は町の未来に思いはせられていたことと思います。
桜の寿命は六十年といわれていますから、それらのなかにはやはり、地域の方々の細やかなケアが欠かせないもの、また、残念ながらダウンしてしまったものもあり、さみしいかぎりです。
それでもなお、ごつごつとしたこげ茶色の枝から、つやつやとしたベージュの新しい枝が伸びていたりするのを見ると、まだまだやる気十分であるのが感じられて、ほっとします。そして春になれば、毎年忘れることなく、町全体をピンクにするほど、こんもりと花を咲かせてくれます。
私よりもずっと長い月日をこの町で過ごしてきた桜の木々。そんな強く美しい先輩方に敬服の気持ちを抱かざるをえません。
文・画 村山尚子
日あたりのよい畑や花だんでモンシロチョウがふわりふわり… とても春らしい光景です。
大昔にヨーロッパで生まれ、世界中に広がっていったといわれるモンシロチョウ。キャベツなどのアブラナ科の植物を好むのは共通のようで、デンマークでは「Kål sommerfugl(キャベツの蝶々)」、アメリカでは「cabbage white (キャベツの白ちゃん)」、イタリアでは「cavolaiaminore (キャベツのおちびさん)」などと呼ばれます。
もちろん農家の方々には、大切に栽培しているキャベツの葉をモンシロチョウの幼虫にかじられてしまうのは悩みの種でしょう。
でも消費者にとって、少々かじられたあとがあったとしても、それは無農薬のしるしになります。それに、そんなおいしくて体にもよいキャベ
ツをモンシロチョウたちにおすそわけできたなんて、すてきで楽しいことと私は思うのです。
文・画 村山尚子
この季節になると、庭や空き地にぴんとまっすぐ立つネジバナをよく目にします。十五センチほどの茎に
ねじのように螺旋(らせん)状に花を咲かせるので、この名がつけられています。花は鮮やかなピンク色で、とても小さいのですが、よく見ると大変優美。蟻ほどのサイズになって、この絢爛豪華な螺旋階段を上り下りしてみたいと、私はつい夢想してしまいます。
ネジバナの別名は「捩摺(もじずり)」。かつて福島の信夫(しのぶ)という地方でつくられていた、ねじり模様の染め物の名に由来しているといわれています。この染め物については、百人一首の「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに(訳・あなたが恋しくて、私の心も信夫の捩摺のように乱れています)」という歌でも触れられています。
残念ながらこの染め物の伝統はとうにすたれてしまいましたが、ネジバナの別名にいにしえの文化を感じることができます。
文・画 村山尚子
私にとって雨の日の楽しみはカタツムリに会えること。その長い触角をつんつんと触ると、迷惑そうな顔をして引っこめるのがかわいくてたまりません。
カタツムリはサザエやタニシのような水中の巻貝と同じ仲間。陸で暮らしてみたいと、水からとび出したのがカタツムリです。水中にいれば事欠かない水分も、陸では自ら求めなければなりません。だから雨の日に塀や葉の上でよく見かけられるのです。晴れた日には体から水分が奪われないよう、殻の奥に閉じこもります。殻の入口にラップのような薄い膜を張って密閉させるスキルも身につけました。
ちなみに、その殻を重くて邪魔だからと捨て去ってしまったのがナメクジです。常にじめじめしたところで過ごしているのはそのためです。
水中の巻貝、カタツムリ、ナメクジ。なんだか人間もこの三つのタイプに分けられそうです。私は…あまのじゃくのわりに破天荒にもなりきれないカタツムリタイプかもしれません。あなたはどのタイプ?
文・画 村山尚子
大賀博士によって縄文遺跡から発掘されたハスの実が花を咲かせたことは、世界中で大きなニュースとなりました。昭和二十七年のことです。このハスは株分けされ、現在は「大賀ハス」と名づけられて様々なところで見られます。
薬師池公園にもあり、花の見頃は七月下旬から八月初旬。私も眠い目をこすりながら見に行ったことがあります。というのも花が開くのは早朝で、昼前には閉じてしまうからです。最盛期の日曜には「観蓮(かんれん)会」が催され、訪れた方々にお酒やお茶がふるまわれます。
グラデーションのかかった艶やかなピンク色で、朝露も朝陽も受けとめる大きな器のような、優しい丸みをおびたハスの花。この美しさにはきっと、縄文人も心を動かされたに違いありません。子どもたちは目を見張り、奥様たちはキレイと言い合い、恋人たちは肩を寄せてうっとりとしたのではないでしょうか。
二千年の時を超え、大賀ハスは私たちのご先祖を近くに感じさせてくれます。
文・画 村山尚子
夏の夕暮れ、ふと空を見上げるとコウモリを目にすることが近年多くなりました。スズメほどのサイズの小型のコウモリで、温暖化の影響でこの町にも増えているようです。
コウモリがくるくると飛ぶのを見ていると、私は不思議な気持ちになります。それはなぜか … 。
コウモリは視力が良くないかわりに、超音波を出すことができます。
超音波とは、つまり“とても高い声”。それを獲物である空中の虫や、木や建物などの障害物へひっきりなしにぶつけ、はね返ってきた音で距離をとらえながらコウモリは飛んでいます。
その超音波はあまりに高い音域なので人間の耳で聞きとることはできませんが、実際には電車が走る音や犬が吠える声と同じくらいの大音量なのだとか。せわしなく羽を動かし、さかんに方向転換をしながら頭上を飛び回るコウモリ。にもかかわらず音はひとつとして聞こえない…
… そんなちぐはぐさが、背景の空の薄暗さもあいまって、まるで幻でも見ているかのような感覚に私をさせるのだと思います。
文・画 村山尚子
ヒガンバナは、お彼岸の時期に開花するのでそう呼ばれます。田畑や道ばたでも見られますが、お墓参りに行くと、ちょうどそこに咲いていたりもするため、“お彼岸の花”のイメージが持たれています。
別名「マンジュシャゲ」は大昔のインドの言語、サンスクリット語で、「天上に咲く花」という意味があります。神さまがこの花を地上に降らせたという伝説もあり、縁起の良い花とされています。たしかにヒガンバナの花には神々しい美しさがあります。
ウェーブのかかった細長い花びらは下向きに、長いおしべやめしべは上向きにカールしており、女性のよそゆきの髪型のような華やかさもあります。
ちなみに花が咲き終わると細長い葉が次々と出てきて、冬から春にかけて茂り続けます。ふさふさとしたその上に猫が乗っかり、心地よさそうに目をつむるのは風物詩でもあります。「マンジュシャゲ」の意味に、「ときどき、猫のソファ」とつけ加えてもよいのではないかと思うほどです。
文・画 村山尚子
カマキリは春に生まれ、夏に成虫になります。
初秋、成熟した大きな体で庇(ひさし)や枝の上などの高みに立ち、鎌をもたげて悠然と世をのぞむ姿には威厳がただよいます。
私は思わず「ハハーッ」とひれ伏したい気持ちになります。
「カマキリ」は漢字で「蟷螂」と書き、「枯蟷螂(かれとうろう)」は初冬の季語。カマキリの羽がすっかりかさつき、よれて、まるで枯草のような風情となったさまを表します。詫び寂びの感じられる美しい日本語です。
冬の寒さには本来は耐えきれないはずのカマキリですが、温暖化の影響か、近年では年が明けても見かけられることが多くなりました。
しかし枯蟷螂となってもなお、震える足で草地や道路の低いところに立ち、悠然と世を見渡している姿には往年のころと変わらぬ威厳が満ち、そして私はやはり「ハハーッ」とひれ伏したい気持ちになるのです。
文・画 村山尚子
クヌギやカシ、コナラなどのブナ科の木の実を総称してドングリといいます。細長いもの、丸いもの、無地や縦じまなど、木の種類によってかたちも模様もさまざま。この町は住宅街にも木が多いので、道ばたにころころと転がっているのがよく見かけられます。
縄文時代の人々にとってドングリは大切な食糧のひとつでした。拾い集めては土の中の穴に貯蔵していました。日本各地の遺跡から、その穴が発掘されています。どのように食べていたのかというと、殻をむき、石ですりつぶして粉にし、それを練って丸めて、焼いていたようです。
このクッキーのようなものも、いくつかの遺跡で発見されています、大人になった私はもう、子どものころのように道ばたのドングリを拾うこともしなくなりました。
文・画 村山尚子
ある冬の日の早朝、窓を開けると向こうの道路に猫の後ろ姿がふたつありました。いや、猫にしてはお尻が丸くて、しっぽも太い。タヌキでした。親子か夫婦かはわかりません。
猫なら「にゃーん」と声をかけますが、はて、タヌキなら… … と少し悩み、さしあたり「ぽんぽーん」と呼んでみました。すると二匹はこちらを振り返り、きょとんとした顔をし、そのまま私たちは三十秒ほど見つめ合いました。そして彼らはまた前を向き、あわてるふうでもなく去って行きました。タヌキは夜行性ですから、家路の途中だったのかもしれません。
クマやカエルのようには冬眠しないタヌキですが、寒さをしのいで岩かげや縁の下などにこもりがちにはなります。それでも暖かい日には、このように出歩くこともあるようです。
タヌキが目撃されることの多いこの町。ぜひ声をかけ、心の交流をしてみて下さい。もし「ぽんぽーん」よりもタヌキの琴線に触れる良いかけ声があったら教えて下さい。
文・画 村山尚子
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
文・画 本田 亮一
ここでは町内会からのお知らせ、緊急や広報関連の最新記事などをお知らせしています。
玉川学園町内会が考える8つのテーマ「防犯・防災」「行事・催し」「お役立ち」「子育て・シニア」「環境・資源回収」「集会施設」「交通・見守り」「地区」があります。ここでは各テーマの最新記事をお知らせしています。 ※「地区」の情報は「各地区より」をご覧ください。
玉川学園町内会は第一から第八地区に分かれ地域活動に取り組んでいます。ここでは第一地区から第八地区の最新情報をお知らせしています。